総てを癒すもの

第2章 「応対」(3)

作者:ゆんぞ 
更新:2004-04-14

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「あの、本当に申し訳ありませんでした」
全員の治療が終わると、エリザは座った姿勢のまま頭を下げた。

いきなりの意外な行動に対し、また兵達の注目が彼女に集まる。それは対処に迷っての行動なのだが、物言わぬ視線の集中を怒りと恐怖だと受け取った彼女は その視線を正面から受け止めることさえできず、俯き加減に目を伏せて
「やっぱり、怒ってます……よね?」
と細い声で問うのが精一杯だ。これだけ怖がられている状況で、どうすれば彼らに赦して貰えるのだろうか。

その問いを受け、どうします?と副長は隣の隊長に聞く。この状況で謝られてしまって、赦す以外にどうしろというのか。
「どうするって……」
隊長が間の抜けた声を出しつつ上方に向き直ると、既に彼の方を見ているエリザと目が合う。見張り塔ほどの高さから縋るような視線を注がれ 彼は無意識的に少し上体を反らしてしまったが、一拍おいて
「いや、もう構わんよ」
と返す。その言葉に反応してエリザの眉が少し上がり、二三度瞬きする。
「いいんですか?」
「まぁ 済んだことだし、治療もして貰ったからな」
「本当にいいんですか?何か出来ることがあれば 遠慮せずに言って下さっても」
なおも畳みかける。彼女にしてみれば、自分の力に対する恐怖のため赦す以外の選択が無いと思っているのではないかという疑いがまだ残っている。しかし隊長にとっては、これだけ圧倒的な存在感と力を持ちながら自分等の言動に一喜一憂している彼女の姿が余りにも不釣り合いで、余裕のある今となってはそれが滑稽ですらある。
「ああ、大丈夫だ」
続けて彼は後ろに「そうだろ?」と問いかける。問われて兵士の何人かは即座に頷く。
「許すも何も、なぁ」
「あれは奇跡としか言いようがねぇや」
「こっちにはどうしもようもねぇし」
「ただ、非番を潰されたのがなぁ」
口々に適当なことを言う兵士達。それを聞き、エリザも少し照れたような微笑みを浮かべて軽く頭を下げる。


念のため点呼を取るよう部隊に命じ、隊長は自身と副隊長をエリザに紹介した。隊長の名はブラドゥ、副隊長の名はリオノスという。
「宜しくお願いします」と エリザも座ったまま軽くお辞儀する。
さっきから妙に嬉しそうなのは赦して貰えたからなのだろうか。表情や仕草にまで感情が現れているのを見ていると、さっきまで彼女の一挙一動を恐れ対応を考えていた自分は何だったのだろうかと やや自虐的な疑問さえ浮かんでしまう。しかしその反面、彼女が手を降ろしたときに感じた死の恐怖もまた事実だ。あの圧倒的な大きさの影が恐ろしい速度で迫る状況を思い出すだけでも息が苦しくなり……
「隊長、点呼終わりました」
呼ばれてブラドゥは思考を一旦止める。報告したリオノスの方を見ると、彼の後ろには既に兵達が整列していた。

不明者無しとの報告を受けて彼は町への帰還を宣言するが、急にエリザが「ちょっと待って下さい」と割って入る。そして彼女は肩から下げていた籠を地面に下ろし、 側面の口を兵達に向けて開く。
「この中に入ってください。私が運びますから」
そう言って中に入るよう促す。籠は縦四間 横三間ほどで、やや裕福な家程度の大きさだろうか。
「これで運ぶつもりか?」
「ええ、揺れるとは思いますが、歩くよりずっと速いはずですよ」
訝しげなブラドゥの問いに対し、エリザは軽く微笑みながら答える。確かに彼女の言う通り速いのだろうが、本当にそれで良いのだろうか? 彼は隣のリオノスの方に目を遣り意見を求める。リオノスは僅かに苦笑いを浮かべ、肩をすくめて応える。「好きにやらせて良いんじゃないですか」とでも言いたいのだろう。

ブラドゥはため息混じりにうなだれ、そして改めて上に向かい「判った」と答える。

了承を得て まず投石機と城弩がエリザの手によって籠に入れられ、次いで四十人ほどの歩兵が入る。それで籠はあらかた埋まり、さらに騎兵や荷馬を積むには足りないようだ。

それを見て取ると、リオノスは騎兵に一旦退くよう合図を送る。
「では、我々は後から追うことにしよう」
上に向かってそう伝えるが、エリザは咄嗟に「ちょっと待ってください」と彼を制する。
「籠を大きくできますけど、どうします?」
急に入った横槍に加えて予想外の提案。皆の動きが止まり その主を見上げる。

一々驚かれてしまうのは前と変わらないが、もうその驚きが恐怖には結びついていないことがエリザにも見ていて解る。彼らの反応を心配する必要が無いと思うと自然に口も緩む。
「ええ。私が大きくなれば籠も一緒に……」
「ああ?!」
咄嗟に出た声が説明を途切れさせる。もちろん声が出たのは籠を大きくできるからではない。まだ大きくなれるというのか。そして、自分等はそんな相手に戦いを挑もうとしていたのか。
「大きく……って言うのは……どこまで?」
騎兵の一人が問いを絞り出す。思いがけず驚かれてしまい エリザはどう答えるか迷ったが、答えをはぐらかせる状況でもなければ嘘を通す自信もない。
「そうですね……前に試したときは、八十丈(二四〇メートル)ほどだったと」
少し顔を赤くしつつも正直に答えると、案の定というか 問うた兵も視線を落とし固まってしまう。身長に『丈』という単位を用いるだけでも異常だが、それに八十という値を組み合わされると すぐには対応する建物が想像できない。兵達は互いに顔を見合わせつつ考え込み、そして誰かが呟くように言う。
「そういや、中央の見張り塔が六~七丈(十八~二一メートル)でしたよね」
八十丈なら、その塔の……街一番の見張り塔のさらに十倍以上だ。
「ってことは、その塔が踝(くるぶし)に来る位か」
言葉を継ぎ、リオノスはエリザの顔を見上げる。口を半分開いたまま更に視線は上へと……
「そう、ですよね」
彼女自身 大きくなった自分が他人からどう見られるかは解らなかったので、改めて具体的な例を挙げられるとつい考えてしまう。見張り塔の後ろで、塔が踝までしか来ない程にそびえ立つ自分……

慌ててエリザは軽く頭を振る。変に想像してまた今朝のようなことになったら大変だ。

改めて騎兵達を見ると、先頭の二人は彼女の膝のすぐ前まで寄っており、他の騎兵達も唖然として彼女を見上げている。
「いや、あのぉ」
気まずそうに笑みを浮かべ こめかみを軽く掻きながらエリザはこの状況をどう説明しようかと考えるが、なかなか良い言葉が思いつかない。

暫しの沈黙。それを破ったのはブラドゥだ。
「と、止まったのか」
滅多に出さないであろう上擦った声で呟き、溜息とともに肩を落とす。突然大きくなり始めたから、本当に八十丈まで大きくなるつもりなのかと思っていたのだ。潰されると感じたときにはその膝は近くまで迫っていて、焦りのため手綱を引いて馬を反転させることさえできなかった。

彼の疲れ切った様子から、エリザはようやく彼らの危機感の大きさを悟った。申し訳なさそうに謝り、「下手に想像するとこうなってしまうんです」と困惑した表情で説明する。


その説明に納得し落ち着いて貰うのを待って、エリザは「じゃあ、そろそろ出発しますね」と切り出す。しかし、何かを思い出したようにリオノスが割って入った。
「あ。ちょっと、待ってくれないか?」
エリザの視線が自分の方に向くのを待って、彼は続ける。
「出発前に、街に知らせておきたい」
そう言うなりリオノスは馬から降り、鞍袋から火打ち石と藁束、緑色の小さな油壺をとりだす。そして藁束に油を垂らして地面に置き、火打ち石をカチカチと打ち始める。

その様子をエリザは少しの間見ていたが、すぐに身を乗り出して提案する。
「私が点けましょうか?」
日が陰ったかと思うと急に上から声が降り、騎兵達は反射的に空を見上げる。目が合ったのでエリザもまた反射的に軽くほほえむ。ちょっとした沈黙の後、リオノスは
「じゃあ、頼む」
と返答し、藁束を槍に刺してエリザの方に突き出す。エリザが彼の胴体よりも太い人差し指を藁束の下に添えると、すぐに藁束から煙が立ち炎がちらつき始める。彼女が指と上半身を引くのを見てリオノスは槍をたぐり寄せ、ゆっくりと左右に振って煙の出具合を確認する。通常ではあり得ない速さでの点火だったと言えよう。

緑色の煙が十分に出ていることを確認すると、彼は槍をゆっくり振って空中に何か紋様のようなものを描く。風がないため、煙で描かれたその紋様は輪郭をすこしずつ崩しながらゆっくりと昇ってゆく。エリザはその煙に息が掛からないよう左手で自分の口を押さえつつ見守り、煙の紋様が大まかな輪郭を保ったまま自分の頭より高く昇ったのを見て始めて
「今のは何の印なんですか?」
と尋ねた。
「ああ、今のはこっちの識別子だ」
「じゃあ、煙の色は?」
「緑は、『解決済、援助不要』という意味だ」
そんな基本的なことを聞くのかと思いつつ答えたが、よく考えれば発煙が要るほどの戦は彼自身も余り体験していない。
「隊長、次は『講話』の印でも送っておきますか?」
「うむ。まぁよきにはからえ」
面倒そうにブラドゥは答える。


印にも結構色々あるものだ。そんなことを思いながらエリザは立ち上る煙とバラムの街を交互に見ていた。街までは四半里、彼女にとっては十五間ほどの距離でしかない。よく見ると、見張り塔の屋上に兵が居る様子さえ掴める。あの人と話が出来たら早いのにと思いながらぼーっと眺めていると、不意に誰かの怒号が微かに聞こえてくる。
(?)
慌てて眼下の騎兵部隊を見渡すが、緊迫した怒鳴り声が飛んでくるような雰囲気にはどうしても見えない。再び街に視線を転じる。目を凝らしてみると、今度は二人でなにやら言いあっているように見える。恐らく自分や煙への対応をどうするか議論しているのだろう。
「……などありえるのか? 奴はまだピンピンしてるんだぞ!」
「いやしかし、だからこそ何らかの返答を送らなければ」
また聞こえた。しかも今度は内容まで聞き取れる。
「いや、そうかもしれんが。だが街の連中はどうする?」
右側の兵が首を振りながら問うのを受け、左側の兵は右手を顎にあてながら軽く唸っている。
「……と、すると?」
やや間をおいて彼が問い返すと、右側の兵も少し考えてから低い声で自分の案を言う。
「時間を稼いで、その間にいっそ脱出させる方が良いかもしれんなあ」
「まっ……待ってください!」

思わずエリザは腰を上げ、大声を出してしまった。しまったと思って周囲を見回すと、案の定兵士たちは彼女の声を受けてうずくまり 騎馬は狂ったように嘶いている。一方の見張り塔の兵士も顔を紅潮させ 目を見開いてこちらを睨んでいる。
「いや、あの……すみません、ちょっとだけ待ってください」
しどろもどろになりながら塔の兵士にそれだけ言うと、エリザは取りあえず騎兵たちが落馬しないよう何頭かの馬の背を撫でて静め、ブラドゥとリオノスの前に左掌を下ろして
「乗って下さい。街の人と話せそうなんです」
と促す。やや怪訝に思うが ただならぬ様子から言に従うべきと判断し、二人は掌に飛び乗る。エリザは焦りながらも そっと左手を顔の高さまで掲げ 街の方に向き直ると、見張り塔の側に二人が見えるよう左手を動かし 三度塔を注視する。彼女の視線が向いたのを見て取った見張り塔の男が、即座に怒鳴り返した。
「いつから聴いてやがった?」
側にいれば凄い剣幕なのだろうが、これだけ離れていると それほどの威圧感は無い。
「ついさっきからです。返答を遅らせるという辺りからです」
エリザはそう答え、反応が返ってくる前に畳みかける。
「まずは隊長さんに喋って貰いますから、避難勧告だけは待っていただけませんか」
そして左掌の上にいる二人に小声で問う。
「あの塔の人の声、聞こえていますか?」
二人は顔を見合わせ、そしてブラドゥがエリザの方に向いて答える。
「いや、何か言ってるらしいのは聞こえたが、内容までは……」
ほっとした表情で頷くエリザ。これなら話が通じるかもしれない。手のひらの二人も兜を脱いで座る。
「これでもう少しましになるはずだ」
「ええ、そうですね。では……」
エリザはそう返し、二人を乗せた左掌を注意深く自分の左耳のそばに寄せ、話しかけてみてくださいと促す。ブラドゥは二度ほど咳払いした後、低く通る声を張り上げる。
「貴様等、何を画策しておる!」
彼の声に応じ、塔に居る兵が はっと驚いて即座に向き直る。声は届いているらしい。
「隊長ぉ」
塔の兵士のそう呼ぶ声が彼らにもしっかり聞こえる。
「一体どうなっているんですか、説明してください」
その問いからして向こうの混乱を象徴しているかのようだ。とはいえ、これだけ常識外れな現象がそろった事件だ。ブラドゥにとっても何から説明すれば判断が付きにくい。
「一言で言えば」
そこまでしか返せず、彼は「そうだな……」と言葉を詰まらせてしまった。エリザも彼の方を見やるものの、部隊同士の話である以上 口出しできない。その数瞬の間を破ってリオノスが声を出した。
「彼女に敵意は無い。治癒術師として街に寄りたいと言っている」
それを聞いてエリザはにっこり笑い、揺れに翻弄される二人のことを忘れて 思わずうなずく。街の人が一番知りたいことは多分そのことだろうと彼女も思っていた。しかし、塔の兵はその言葉をどう受け取ったのか、お互い顔を見合わせて何か言い合っている。小声のためかその内容は解らないが、片方の兵が首を横に振っていることだけは見て取れる。短い議論のあと、塔の兵たちは彼女の方を向き直り問うた。
「なぜ信じるんですか、そんな明らかな虚言を」
「『明らかな』って……」
兵の問いに対してついそう漏らしてしまうエリザを、ブラドゥが「まぁ待て」と耳たぶを引きつつ制する。
「虚言ではない。我々も一度負傷したが、治療を受けて今は全員無事だ」
「そ、その説明はまずいのでは?」
ブラドゥの返答に対して今度はエリザが小声で問う。事実は説明の通りではあるのだが、向こうは負傷させたということの方に気を取られるのではないだろうか。そう思って慌てて説明を始めるが、
「いや、あの、負傷というのも……目の前の糸を引いたんですけど、それが……」
あまりにも断片的な内容なので、今度はリオノスが彼女の耳を引いて「まぁ、落ち着け」と制する。そして、塔の兵士に「私が順を追って話す」と前置きした上で説明を始めた。


そんな感じでリオノスは説明をしているが、塔の兵たちは熱心に話を聞いているようには見えず、むしろ彼らの後ろ つまり街の内部を気にしているような雰囲気である。そんな中、塔の窓に新たな兵が入り込んでくる。肩で息するほど消耗していたその兵は、息を整えると一息でこう報じる。
「もう限界です、住民を押さえ切れません」
その言葉を三人ともはっきりと聞き取ることが出来た。

エリザは視線と二人の乗る左掌を自分の膝の上まで降ろして
「やっぱり、駄目みたいですね」
ぽつりと言った。

街の人の助けになればと思って来たはずだったのに、結局自分のしたことは何だったのだろうか。不注意でこの人達を傷つけ、街をここまで混乱させ……しかも彼らに対して何もすることが出来ない。

右手を握りしめ、奥歯を噛み、伏せた目の視線は膝の二人に当たっているようだが焦点が合っていない。膝の上の二人には、エリザの表情は悲しそうでもあり また怒っているようにも見える。

不意に彼女は上を向き、ぐすっと鼻を鳴らして息を吸い込み、吐く。そして再び左掌の二人に視線を向け、左掌をそっと地面に降ろした。
「じゃあ、帰ります」
そう言う声が幾分震えている。後ろめたいものを感じつつも二人は掌から降り エリザの方に振り返ると、彼女は二人に頭を下げる。
「ご迷惑をおかけして 申し訳ありませんでした」
「いや、ああ」
自分を見る 寂しそうに潤む眼に戸惑い、リオノスはそれだけしか返せず視線を落とす。だがすぐ彼は顔を上げ、思いついた言葉を躊躇することなくまくし立てた。
「出来るだけ早く説得したい。そうしたらまた来て貰えないか」
彼の提案に、エリザは潤んだ瞳のまま微笑み 頷く。リオノスはそれを見て ほっとした様子で肩を落とす。そんな彼の頭をブラドゥは小突き、悪戯っぽい口調で言った。
「青いな」


結局、どうしても救援を要するときには黄色の煙をあげること、明朝三の刻(日出の二刻後)に同じ場所で会うこと。この二点を申し合わせたのち、エリザは重い足音と共にゆっくりと歩み去り、兵たちは町民を鎮めるため街に戻った。

戻りながらエリザは何度も後ろを振り返ったが、領境に着くまでに救援の黄色い煙を見ることはなかった。それは混乱が無事に収まったからなのか、それとも逆に彼女を呼ぶことすら出来ないほどの状況なのか、それを伺い知る方法は無い。

日はまだ高かったが 往来を行き交う人はおらず、山を越えるまでの帰路はエリザにとって非常に辛い行程となった。


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