総てを癒すもの

第2章 「応対」(2)

作者:ゆんぞ 
更新:2001-03-13

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主立った兵を集めて早急に練った『有事の対処法』は、城弩や投石機等の攻城兵器を用いて追い払う、または足に縄を掛けて転倒させ 頸に弓兵の矢か槍兵・騎兵の突撃を撃ち込んで斃すという内容であり、そのためには接触する場所は相手からの死角が多い森の中が望ましいという結論になった。

街の人々が不安そうに見守る中、槍兵や弓兵・騎兵が西門の外に集結する。投石機と大弩も何台か台車に乗せられ、荷馬に引かれて行く。そして三里まで接近したことを告げる鐘が鳴ると作業は中断され、部隊は町を発つ。

そのころにはエリザにも何やら武装した集団が大荷物を引きながら町から出ようとしているのが見えており、それが自分を退けるための部隊とは露ほども思っていない彼女は手を振って応え、足下に注意を払いながらも少し歩調を早める。

相手が歩みを早めたので、部隊も急いで行動を起こす。まず全隊を町から出して西門の閂を降ろす。そして町から四半里ほど移動した森の中で部隊を展開し 待機する。待機している間にも娘の足音らしき地響きは大きくなり、兵士の間にも緊張が走る。押さえが利かなくなって暴れ出す馬も何頭か出てきはじめた。


しかし、目前まで来て立ち止まった娘の行動は、戦闘も辞さないと考えていた彼らには想像も付かないものだった。
「こんにちわ。皆さん大勢でどうなさったんですか?」
軽く頭を下げてご挨拶。予想外の対応に唖然とする部隊長以下にも気づいていないエリザは、すこし屈んだ姿勢のまま右手を軽く握って
「もし力になれるようでしたら、お手伝いしますけど」
と付け加える。

彼女の格好と同様の 油断させる作戦なのか 余裕から来る冗談なのか、それとも本気なのか、部隊には全く判別できない。どうすればよいかと部隊長は傍らの副長に問うた。副長も少し返答に迷ったが、即座に攻撃する意志がない以上は とりあえず話をして真意を聞くのが良いと提言する。

足下で兵達が自分の方をちらちらと見ながらお互いなにやら話しあっているのが 視点の高いエリザにはよく見える。あまり良くない雰囲気とは思いつつも、この部隊が自分に差し向けられたものだとは気づいていない。領内では顔を知られているため、驚かれこそしたものの不審者扱いを受けたことは無かったからだ。

ややあって、隊長らしい男が面頬を開いてエリザを見上げ、その厳つい体格に相応の太い大声で言った。
「では、まずそちらの真意を聞きたい」
それを聞くエリザの両眉が内に寄る。
「真意?」
耳に手をあて返しながら意味の解釈を試みるが、やはり解らない。とりあえず自身の胸を指さしつつ問う。
「真意って、私のですか?」
「そうだ」
傍らに居た男が隊長を遮るようにして答えた。体格も着ている鎧も細身で、隣の隊長と比べると いかにも対照的な感がする。
「まずは名前と所属、それから此処に来た理由を教えて頂きたい」
「あ、はい」
彼らが自分の名前すら知らないということに、名前を聞かれて始めてエリザは気づいた。


エリザが答えた内容は要約すれば以上の通り。それに対してどう返そうかと考えている副長に、今度はエリザが尋ねる。
「じゃあ、さっき私の言ったことに答えて頂けますか?」
再び部隊がざわざわとしはじめる。『巨人退治のためだ』などと答えてしまえば、彼女が本当のことを言っていたとしても気を悪くするだろうし、まして嘘なら口実となりかねない。疑念が疑念を呼び、それが緊張を否応なしに高める。
「お手伝いしたいと思ってたんですけど、もしかして私のせいだったんですか?」
問う声はその巨躯に比してあまりにも弱く、細い。改めて部隊の構成を見てみると攻城に使うような弩や投石機が並んでおり、しかも弩が斜め上を向いているのが判る。そして、彼女の淋し気な視線が最後列の投石機を捕らえたとき。

突然、その投石機から頭大の岩が勢い良く飛び出す。緊張と視線に耐えかねた兵士が、留め金を半ば無意識的に引いてしまったのだ。

顔めがけて飛んでくる石に対しエリザは咄嗟に左手で顔を庇う。彼女にとって小豆くらいの石は二の腕に当たり、スカートで跳ね、再び頭大の岩となって逃げ遅れた弓兵の肩口を直撃した。

石が当たったことに気づかないエリザは 暫く経ってから小首を傾げつつ構えを解く。改めて足元の部隊を見回すと、さっき自分を襲ったであろう小石が落ちており、傍らで弓兵が倒れている。彼女は直ぐに屈み、弓兵を摘み上げようとする。しかし部隊の兵達にしてみれば、それは小屋に匹敵する巨大な手が降ってくるということであり、特に掌の影に居た弓兵達にとっては直接死に結びつく恐怖だ。耐えきれなかった弓兵が反射的に矢を放つ。
(!)
驚いたエリザは即座に手を引き体を起こす。そして右手を振り 刺さっていた小針を払う。突然の攻撃に驚きはしたものの、射掛けられた矢は彼女にとっては爪楊枝の半分程度の大きさであり、刺さっても手の皮を貫く威力はない。

矢による攻撃はその一度きりで止みはしたものの、驚きが収まったエリザは 理不尽な扱いに対するどうしようもない感情を抱き始めていた。敵意なんてないことをさっき説明したばかりなのに、自分は怪我人を助けようとしているだけなのに、なぜ彼らは警戒を解かないばかりか 弓まで射掛けてくるのか。しかも、弓を射た連中は妙に朗らかな表情をしている。弓兵達にしてみれば思いがけず命を拾ったことに対する安堵で気が抜けているのだが、エリザがそれに気づくはずもない。
「どうして射ったんですか?」
弓兵に尋ねる。

そのつもりは無かったのに、つい語調が強くなってしまった。しまったと思いエリザは言い直そうと思ったが、取り繕う前に 部隊長は「作戦開始い!」と後ろに怒鳴った。彼にしてみれば、こういう場合に先手を取るのは必要条件だ。この力量差では相手が少しでも躊躇している隙を突くしかない。
「奴は本気だ。死ぬ気でやれ!」
それを聞いて弓兵は再び射撃を開始し、どう動くか決めかねていた槍兵も 槍を斜め上に構えて動きだす。
「ちょ、ちょっと待って下さいっ」
彼女にとっては本気ではないし、命懸けで来られても困る。しかし矢は次々と射られ、槍兵は素早く陣形を整え すぐにでも突撃を掛けそうな状況だ。思わず後ずさろうとするが、そのとき右足の踵辺りに何か引っかかる感触を受けた。

怪訝に思い スカートを後ろに寄せて爪先を見る。すると 綱の束を肩に掛けた軽装の工兵達が 足下でなにやら作業をしているのが見えた。

巨人の靴に綱を巻いていた工兵達も 異変を感じて彼女の方を見上げる。そして自分が見られていることに気づく否や、彼らはのけぞり そのまま身を反転して逃げだす。足に力が入らず、また肩に掛けた綱のせいで思ったように逃げられないが、腕で地面を叩き、肩で転がり、とにかく全身を使い もがくようにして逃げる。

その一方でエリザもまた、今まで彼らが足下に居たということに対して驚きと焦りを感じていた。彼らは何時から居たのだろうか?これまでも多少は足を動かしていたはずであり、もし自分が彼らを踏みつぶしたり蹴飛ばしたりしていたら……

付近の地面を凝視し 赤黒い染みが無いか調べる。次に体を反って後方を確認し、さらに踵を浮かせ下の地面を見て 誰も踏み潰していないことを確認する。
(とりあえずは大丈夫みたいね)
つい安堵のため息が漏れる。改めて足下に意識を戻すと 既に工兵達は見あたらない。もう一度後ろを見ても居ないから、おそらくさっき後ろを見ている間に立ち去ったのだろう。これで安心して足に絡んだ紐を外すことができる。


まだ弓や弩・投石機による攻撃は続いており、主に顔を狙っているようだ。しかし弓は直立している彼女の顔の高さまで届くのがやっとで、投石機の放つ石は尖っていないために当たっても痛くはない。そして最も痛いはずの弩は、なぜか当たってすらいない。つまり彼らの武器では全く歯が立たず、そしてそれにも関わらず彼等は攻撃を止めようとしないのだ。上から見下していて段々馬鹿馬鹿しくなってくる。
「あのぉ、本当にもう止めにしませんかぁ?」
腕を腰に当て、弛んだ声で呼びかける。応じないのが解っているだけに、どうにも力が入りづらいのだ。

どうやって説得するか、それともしばらく放置するべきかと考え始めたところで、ふと目の前に垂れた糸のようなものに気付いた。摘んでみると、その糸は髪の毛としては太く 服から出た糸屑としては長い。糸の先が気になり、少し手繰ってみる。
するといきなり部隊後方の大弩が動き、そして前方で構える槍兵のまっただ中に突っ込んだ。
(!)
しまったと思ったときにはもう手遅れだ。大弩は十数人の兵士達を巻き込みつつ陣を縦断し、エリザの足元まで転がってようやく止まった。陣が張られていた場所には土煙が立ちこめ、呻き声が至るところから上がっている。
「そ、そんな……」
思わず声が漏れてしまう。何気なく引いた糸がこんな結果をもたらすとは。そもそも なぜあの糸を引いてしまったのか、糸を引けばこうなるとなぜ予測できなかったのか……。

とはいえ、今更後悔しても始まらない。エリザは膝をついて座り、倒れている兵士を怪我の酷そうな者から一人ずつ慎重に摘み上げては左手に載せていく。兵士を摘み上げるため右手を降ろすと兵達は一旦引き、そして殆どの者が彼女の手に槍を突き立てる。突撃さえ掛けてくる者もおり 右手の傷は左手と地面を往復する度に増えるが、エリザは手首を切られないように注意することしかできない。なにせちょっと手を払うだけでまた怪我人が増えるのだ。一度全員を「黙らせ」て それから治癒することも少しだけ考えたが、いくら都合が良いとしても それをするわけにはいかない。

左手に六人乗せると エリザは身を起こし、掌の上で弱々しくもがき抗う負傷兵に「回復術」を施すと 再び一人ずつ摘んで地面に下ろす。今度は地上の槍兵達も構えこそすれ攻撃はしてこない。

負傷兵を拾い上げたかと思えば 少し間をあけて再び地に下ろす。そんな巨人の行動が不可解であるため兵士たちは待機していたのだが、巨人が別の怪我人を拾い上げている途中で最初に拾われた兵達が起きあがり始めたことで、彼らにもようやくその意図が解ってきた。

しかし、本来『回復術』は生命力を補う術であり、すぐに治せるのは疲労や軽い怪我までである。間違っても 動けないほど負傷した兵士を即座に治療する術ではない。とはいえ、もしこの巨人の治癒術師が体躯に比した魔力を持つなら……

目の前の奇跡に対し呆然としている兵達をよそに、エリザは次々と怪我人を拾い上げては術を施して行く。倒れて動けなかった連中を治癒し終えると、今度は「他に怪我している人はいませんか?」と問い、掌を地面に下ろして
「もし居たら、乗って下さい」
と付け加える。

兵の多くが彼女を見上げ、そして互いの動向を視線で伺う。とりわけ肩を借りて立っている兵士に注目が集まる中、そのうちの一人が肩を借りている男に二言三言話しかけ そして肩を貸している方の男がエリザに問う。
「なぜ、掌に乗せてから治療するんですか?」
兵達の注目が両者に集まる。確かに術者と相手が離れていても、威力や精度が落ちるだけで魔術自体は問題なく行使できる。
それに対してエリザは
「そうしないと、相手と力を上手く絞れないんです」
と答え、力加減の失敗を少しでも減らす為にはこれくらい慎重である必要がある旨を付け加える。

その答えに納得したのか、肩を借りている方の男が頷くと 二人組は掌に向かって歩き始める。それに気づいたエリザは 掌を彼の方に近づけ、さらに段差を縮めるため指を地面に押しあてて沈める。彼女にとっては親切でやっていることだが、目の前で太さ一尺程の丸太のような指が音を立てて沈む様子は それが人の手で為されているという事実と併せて兵たちの殆どを反射的に半歩ないし一歩引かせに足る異様さだ。手に乗ろうとした二人組も動きを止めてしまう。

思わぬところで兵達が退いてしまったのを見てエリザ自身も戸惑う。何をやっても怖がられているようにさえ思えてしまうが、とりあえず平静を装って話しかける。
「驚かせてすみません。でもこれで乗りやすくなったと思いますので……」
そう言うと彼はエリザの方を見上げて彼女の表情を少しの間伺い、そして再び歩き始める。信用するか迷っており恐怖もあるようだが、完全に疑っているわけではない。寧ろ信じようとしてくれているのが彼女にとって救いだ。

二人組が掌に乗ると、エリザは付き添いの兵士に降りて貰うよう言い、一人だけ乗せた状態で左掌を地面から持ち上げる。掌は、人ひとり分の体重を無視して余りにも簡単に上昇していく。

ゆっくりと左手を体の前に持ってくるとエリザは慎重に魔力を絞りながら「回復術」を施す。そして再び左手を下ろす頃には既に何人かの兵士が指の形にへこんだ場所の少し手前で待っていた。

やっと信じてくれた。そう思うと胸の芯が熱くなり、自然に微笑みが浮かぶ。時間を要し 諍いもあっただけに、今こうやって自分を必要としてくれているのが彼女にとっては非常に嬉しい。
「乗ってください。纏めて面倒を見ますから」
少し震える声でそう言うと、下ろした掌に乗るよう促した。


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