総てを癒すもの

第2章 「応対」(1)

作者:ゆんぞ 
更新:2000-12-13

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エリザは脛まである紺のスカートの裾を持ち、鏡の前でくるりと回ってみた。ちょっとだけ遅れて浮き上がり回るスカートと前掛けは彼女には新鮮に映ったが、その程度のことを新鮮に思う自分が少し恥ずかしくなった。女性の治癒術師としてはごく普通の格好なのだが、独りで乗馬することが多いためシャツにズボンで通してきた。スカートをはくことさえ王都での見習いを終えて以来だから 一年ぶり位だろうか。

次にエリザは足元を注視しながら二三歩あるいてみる。丈が長いので下から覗かれても大丈夫そうだが、足元が見えにくいことと 思ったよりスカートが風を起こすことが問題になりそうだ。誤って踏み潰せば肉片すら残らないし、踏みつぶさなかったとしても この風で吹き飛ぶかもしれない。

最後に正十字の入った帽子が歪んでいないか鏡を見て確認し、布を敷いた紐付きの籠を肩に掛けて更衣室を出る。

隣室で待っていたグランゼルは、更衣室から出てきた彼女の姿を見て「ほぅ」と小さな声を上げた。彼にもまた珍しいものに映ったらしい。
「何故か違和感があるよなぁ」
照れ隠しにも見える微笑みを浮かべながらそう付け加え、傍らに居る老執事のウォーゼンの方に目配せする。ウォーゼンは頷き、おもむろに説明を始めた。


魔術の重複により治癒術師が巨大化したとの報を聞いた本国は、宮廷魔術師を長とした一行を観察のため派遣するという内容の書簡をグランゼルの元に送った。そして中春月廿日 つまり今日、その一行が来るためエリザが迎える手筈になっている。慣れない上に足元が見えにくい格好を彼女がしているのも貴人を迎えるためだ。

領主別宅から出たエリザは家の影の中で深呼吸し、そしておもむろに影から外へと歩み出る。二歩 三歩と足を進めるたびに体が熱くなり、足下を見ると既にいくらか背が高くなっているのが解る。

陽光を浴びると巨大化し、日没とともに元に戻る。念想による制御もある程度は可能だが、上限と下限は天候によって決まる。数日の経験から自分の体についてこれだけのことが解っていた。

別宅より十分離れて立ち止まり空を見上げる。快晴で日差しが強く熱い。できれば身丈を小さめに収めたいのだが、この天気では無理そうだ。エリザは三日前の実験を思い出していた。どこまで大きくなれるか確かめるため、村から離れた丘に登り 自らの手で雲を散らす姿を念想したのである。さすがにそこまで大きくはならなかったが、遙か遠くまで見えた景色と 視線を下に転じたときの目眩がするような高さをはっきりと憶えている。その高さが恐ろしくて殆ど動けなかったのだ……。

しまったと思ったが、もう遅かった。目を開けると受け入れたくない現実が入ってくる。霞んで色褪せるほど遠くまで見える景色、目の眩むような高さ……。前の実験と違うのは ここが別宅の前であり、いま道を歩いていたという点だ。二尋(三・六メートル)少々あったはずのその道は今は棒で引いた線のように細く見え、道に入りきるはずもない彼女の長靴は 脇の草地を窪ませている。
「今度は何をやったんだ?」
家の中が急に暗くなった理由は察しがつく。どうせエリザが余り家から離れずに巨大化したのだろう、そんなことを思いながらグランゼルは窓を開けて外を見る。窓から見えたのは縦に三分割された光の帯だった。紺の上下を着て聳え立つエリザの後姿が見えると思っていたグランゼルにとっては意外な光景だったため、彼は急いで家の外に出る。そして呆然と見上げていたウォーゼンに駆け寄ろうと数歩進んだとき、いきなり横薙の突風が二人を襲った。

慌ててエリザは周囲を見まわす。周囲の木々は彼女のくるぶし程の高さしかなく、振り返って下を見ると右後方に一寸立方くらいの置物のような家がある。そしてその脇には麦粒くらいの塵みたいなものが二つ、彼女のスカートが巻き起こした風で転がっている。
しばし後にそれらが自力で動き 起きあがるのを見て、エリザは初めてこの塵が人の姿だということを理解した。
「あ、あの……」
そっと後ろに向き直り、少し身を屈めて話しかける。エリザにとってはそれだけのことだが、足下にいる二人にとっては目前の地形変動に等しい。足を降ろせばその途方もない体重が瞬間的な地震を起こし、風を孕んだ服が回ると暴風となって吹き荒れ、口の動きに少し遅れて届く声は空気の振動となって天から降り注ぐ。下の二人はエリザが向き直るのを見て即座に地に伏せたため被害は受けなかったが、見上げると中天までエリザの姿が占める光景が映り、とにかく圧倒されるばかりで声も出ない。
「ごめんなさい、大きくなり過ぎてしまったみたいで」
軽く頭を下げるが、それだけでも彼女の声は一呼吸遅れて空気を振るわせ、重心移動に伴って爪先が音を立て沈む。
「とりあえず もう少し小さくなりますので」
そう言って直立の姿勢で二三度深呼吸する。そしてエリザは目を閉じ、二階建ての家と同じくらいに小さくなっている自分を念想する。
しばしの集中の後、少しずつ身体が熱くなり始める。身体が小さいほど熱を持つことが解っているので、正常な動作だ。

ある程度の熱さを感じたところで再び目を開けると 景色は森と丘が主体となるよう変化しており、家の屋根は脛よりやや低く 道は彼女の長靴よりやや広くなっている。二尋(三・六メートル)が三寸(九センチメートル)となると四十倍前後であり、大雑把に考えて二十丈(六十メートル)、まぁ我慢できない大きさではないとエリザは判断した。

自分の体に関する見積もりと計算が速くなったのも経験の賜物である。ただ、その度に人間離れした値を突きつけられるのは あまり気分の良いものではないが。
「では、行ってきます」
ぺこりと頭を下げると、エリザは反転して東へと歩き出す。本国小隊とは、領境で正午に合流する予定だ。

残された二人は暫くの間 呆然としたまま見送ることしかできなかった。確か三日前の極大化実験では、丘についた靴跡の大きさから百五十倍程度の大きさと推測されている。そのときは場に居合わせなかったため 建造物の範疇すら超えた大きさと想像するしかなかったが、まさか天の半分を覆うほどとは思っていなかったのだ。
「とりあえず、戻りましょう」
「う、うむ」
ウォーゼンの声でどうにか我に返るグランゼル。しかし家に入った二人を待つのは、机から椅子から棚まで殆どがひっくり返り 混沌そのものを具現したような部屋だった。


馬が走れない程の急峻な山道が続くため 普通なら丸一日掛かる行程だが、足下に気を使いゆっくりと歩を進めても エリザが山地西側の領境に着くまでには一刻も掛からなかった。合流予定は正午だから、まだ相当の時間が残っている。

座って休み、脚をもみほぐしながらエリザは考えた。ここで相手小隊を待っても構わないが、領境を越えても咎められることは無いと説明されていたし、この辺は他に通る道もないから相手部隊と行き違う可能性も無いとも聞いた。今の歩調であればたぶん半時ほどでバラムという近くの町に着けるだろう。
「よぉし……」
町というからには千人規模で人が住んでいるはずなので、自分が助けられる人が居るかもしれない。エリザは軽いかけ声と共に立ち上がり、そして再び東を目指す。


町に向かってくるエリザの姿は、領境を越えて直ぐにパラムの見張り番に捕らえられた。持っていた金槌で背後にある鐘を乱打し、螺旋階段を駆け下りる。塔の下層は兵の詰め所となっており巡回していない兵達がくつろいでいたが、文字通り転がり落ちてきた見張り兵に その全員の注目が集まる。

二度深呼吸し、さらに少し思考を落ち着けてから見張り兵は報告する。
「きょ、巨大な治癒術師の娘がこっちに攻めて来ています!」
視線と沈黙。
彼の発した語彙の間に相関が全く無いため、文として理解されていない。少し間を置いて漸く一番奥に座っていた男が口を開く。
「もう一回、言ってみ」
「ですから、隊長。巨大な女治癒術師がこっちに向かっているんですよ!」
大袈裟な動作と共に即答する。いかにももどかしそうな動作に対し、問うた隊長の方は幾分目を細めて「ふ~む」と唸り、
「そう言うなら見てやろうじゃないか」
と言いながらのそりと立ち上がる。そして先の兵士に先導されるまま塔に登り、西向きの見張り窓から外をのぞき見る。

はじめは普段通りの風景と思ったが、よく観ると山の合間に明らかに風景から逸脱した大きさの女が俯き加減で歩いているのが判る。腰から上が周囲の林から出ていることからして背丈は二十丈を下るまい。エプロン胸部の青い正十字と独特の形状の帽子が確かに治癒術師であることを示しており、年齢は東方人の特徴を差し引いて二十弱といったところか。

通常には有り得ない光景を受け入れるため暫し間をおき、隊長は思わず感心したように呟く。
「なるほど、確かにお前の言ったとおりだな」
そこへ副隊長が足早に登ってくる。その男は窓の外を一瞥して光景を確認すると、それを指さしながら隊長に問うた。
「さっきの鐘は、あれですか」
「ああ」
再び窓の外に向き直り、顎に手を当て考えること数瞬。そして彼は再び問う。
「そう言えば 王都が何か言ってたでしょう、調査団が来るから領境まで護衛しろとか何とか」
いきなり話が転換している。ついていけない隊長が怪訝そうに「ん?」と返すと、すかさず
「それと関係があると思うのですが」
と繋ぐ。
「……ああ、あの娘がか」
やっと話が繋がった。
「まあ、向こうは向こうだ。こっちはどう対処する?」
「そうですね……」
窓の外を見ながら副長は暫し考える。治癒術師の格好をした侵略者なんて馬鹿げたものは想像したくないが、すでに想像の域を超えた巨人があそこに実在している以上はそうとばかりも言っていられない。
「取り敢えず交戦もあり得るとみるのが妥当でしょう。どのみち此処ではやりにくいと思いますので、町外れで待機ですかね」
そう言うと副長はもう一度窓の外を一瞥して言った。
「ところで、なぜあの娘は治癒術師の格好をしているんでしょうか」
「知るかっ」
あっさり返す。あの巨人をどう斃すかを既に隊長は考え始めていた。


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