総てを癒すもの

第1章 「邪教」(4)

作者:ゆんぞ 
更新:2004-11-16

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念じれば自分の大きさを変えることが出来るらしい。取り敢えずエリザはそう解釈することにした。ともあれ、今の大きさであれば全員を乗せても十分な余裕がありそうだ。
「とりあえず、帰りましょう。これで皆さん乗れますよね?」
はにかみながら彼女は申し出る。その一言でようやく我に返ったのか、兵たちはのろのろと動き出す。
掌の厚みはおよそ四尺、兵たちの腕の下まであり、軽装の弓兵ならまだしも 鎧を着た歩兵にとって直接登るのは難しい。先に登った弓兵たちが引っ張り上げようとするが、掌の上は柔らかくて踏ん張りが効かないため 逆に引きずり下ろされてしまう。

上から見ていたエリザにとっては、自分の大きさを嫌でも実感させられる光景だ。彼女は右手の小指を左手でぐっと押さえ、地面に半分ほど埋めた小指を差して言う。
「じゃあ、こっちから回って下さい」
彼女の言動を理解した一部の兵達は小指の方に回り、ゆっくりとその上を渡る。柔らかくて不安定とは言え、太さ二尺強の丸太橋だ。転ぶ者もいない。

小指を渡る兵たちの身はエリザにとって余りにも軽く、くすぐったい位にしか感じられない。だが、時にふらつきながら指の上を歩く小さな兵たちが同じ「人」であると思うと何だかいとおしくて、つい微笑みがこぼれる。こんなに大きさが違うのに彼らは自分を信頼してくれている、だから私も彼らと一緒の道を歩いていきたい……。

だが、他の兵たちが倣おうとしたところで グランゼルが「待て」と制止の声を上げる。
「二手に分かれよう」
「二手、ですか?」
怪訝そうな表情を浮かべながら、エリザが低い声で問う。
「そうだ。先発隊が街に入って事情を説明するから、その後に来て欲しい」
グランゼルは彼女を見上げて頷き、説明を加える。確かにその内容は彼女の疑問を解消するに足る もっともな理由だ。なぜ事情の説明が先に要るのかも含めて。
「そう、ですよね。こんな大きさだから」
俯きながら応えるエリザの口調は尻すぼみだ。そんな彼女にグランゼルは何も言えなかったが、代わりにイーゼムが
「いやぁ、その服だろ」
と、軽い口調で割り込んだ。
「そうだな」
即座にグランゼルも同調する。そしてエリザの方を見上げてみると、たったそれだけの違いにも関わらず 彼女の表情は明らかに柔らかくなっている。
「とにかく、街に入れるようになれば緑の狼煙を上げる。それまでは大人しく待っていてくれ」
「どのくらい掛かります?」
間髪入れずにエリザが問う。この大きさだと 真剣な眼差しが伴う迫力も相当なものだ。気圧されたグランゼルは 僅かにどもりながら応える。
「い、いや……わからん。途中の村にも説明するから、かなり掛かるかもしれん」
「そうですか」
再びしょげるエリザ。グランゼルは慌てて言葉を継ぐ。
「いや、まあ今日中には入れると思ってくれ。分担して当たれば早いはずだ」
「あ、はい。ありがとうございます」
エリザはぺこりと頭を下げる。その動作につれて長い黒髪が前に流れそうになり、慌てて彼女は身を起こし直した。

それからしばらくの間 グランゼルとウォーゼンが協議した結果、捕虜付きの本隊が六人、別動隊が二人という振り分けに落ち着いた。それぞれに属する者の名が読み上げられるが、名前を呼ばれないままイーゼムが残る。
「あれ? 俺はどっちですか?」
「おまえはここに残れ」
所属を問うイーゼムに対し、グランゼルは彼を指さして答える。
「親しいから良いだろ。捕虜が多いから人員を割けんのだ」
確かにエリザが術を修めに出る前から互いに知っていた仲ではあるが……。そんなことを思いながら彼女の方を一瞥してみると、エリザはじっと彼の方を伺っている。不安そうな様子からしても、ここで拒否すれば彼女が寂しがることは明らかだ。イーゼムは彼女に向かって微笑み掛け、頷いて見せる。
「解りました、残ります」
グランゼルの方に向き直って言ったとき、返答を待っていたかのように 誰かが
「変なことすんなよー」
と囃し立てる。
「しねえよっ!」
どなり返すイーゼム。続けて「出来るわけねぇだろ」という科白が出そうになったが、彼は咄嗟にそれを飲み込む。目だけ動かしてエリザの方を伺ってみると不意に目が合い、彼は慌てて視線を逸らした。


一通り先発隊を見送るとエリザは立ち上がり、目を閉じて念じる。すると彼女の体が少しずつ縮み始め、先とほぼ同じ大きさになる。そのまま彼女はしばらく目を閉じていたが、やがて目を開けて溜息交じりに言う。
「これ以上は無理みたいですね。もっと小さくなれたら良いんですが……」
そして彼女は膝を立てて座り、その膝の上にイーゼムを乗せる。
「こうすれば、お互い首が痛くないでしょ」
そう言ってエリザは微笑み、イーゼムも笑いながら「そうだな」と頷く。
「しかし、これからどうする?」
不意に発したイーゼムの問い。エリザは「そうですね……」と言ったきりしばらく考えていたが、やがて 真剣な表情で答える。
「やっぱり、皆さんを癒してあげたいと思います」
「ん?」
質問の意味を微妙に取り違えられていると感じながらも、イーゼムは即座に気を切り替え 言葉を返す。
「ああ……まあ、今まで通りってことだな」
「ええ、まあ、そうですね。でもこれだけの力があれば、今までよりずっと多くの人を助けてあげられると思うんです」
「んん……そうだろうな」
確かにその通りだが、逆に言えば エリザが人の世に留まる方法はそれ位しか無いのではなかろうか。イーゼムは彼女自身がその辺りをどう思っているのかという疑問を感じたものの、彼女が気づいているかどうかも解らない以上は聞けるわけもない。

そんな悩みを知ってか知らずか、エリザは尚も話を続ける。
「外にも出てみたいと思っています。出来ればこの島の人総てを癒してあげたいなぁ……」
そこまで言って、エリザは少しだけ恥ずかしそうに微笑む。その笑みに陰りは見られず、純粋に癒したいのだろうとイーゼムは判断した。現実としてそう順調に行くとも思えないが、今はそれで良い。彼は極力自然に笑って返す。
「そりゃあいい。……しかし壮大な計画だな」
言いながら彼はエリザの頬に触れようと手を伸ばすが、遠近感が狂っているのか 頬に届くと思っていた手が空を掴む。しまったと思う頃にはもう遅く、重心を崩したイーゼムはつんのめって膝から滑り落ちる。
「あっ!」
エリザは咄嗟に手を差し伸べようとしたが、彼の胴より太い人差しでは少し加減を間違えただけでまた傷つけかねない。手を出せないまま不安そうに見守る中をイーゼムは法衣の上をそのままするすると滑っていく。

結局 彼が臍の辺りで止まってから、エリザはおずおずと問いかける。
「だ、大丈夫ですか?」
イーゼムは即座に立ち上がるが、足取りがおぼつかず倒れそうになる。エリザは前のめりになった彼の胸を指で支え、再度「大丈夫ですか?」と問う。
「大丈夫だ。ちょいと足場が悪くてな」
イーゼムは手を上げて応えるが、エリザの眉尻はまだ下がったままだ。彼は僅かに困惑した表情でそれを見上げていたが、ちょうど腰の位置にあった指に座ると 不意に悪戯っぽい笑みを浮かべて付け加える。
「むしろ面白かったくらいだぞ」


緑の煙が上がっているのをエリザが見つけたのは それから半刻あまり後、もうすぐ日も暮れようかという頃だった。
「あ、あれ。見てください」
エリザは立ち上がり、掌上のイーゼムに煙の方向を指さして見せる。
「ん? あれは……王都じゃないな」
嬉々とした表情のエリザとは対照的に、イーゼムの声は低い。
「王都までは五里以上あるから、取り敢えず日が暮れる前に来いということなんじゃないか」
その説明にエリザの喜びも失せ、ぽつりと漏らす。
「やっぱり、難航しているんでしょうか……」
「捕虜の扱いに困っているか、ウォーゼンの爺さん辺りがヘタったか。大方そんなところだと思うぞ」
内心慌てつつも、イーゼムは表向き呑気な口調で付け足す。
「まあ、行こうや」
「はい」
念のためエリザは灯明の術を自分の左掌に掛け、右掌にイーゼムを乗せたままゆっくりと歩き始める。

それから小半刻ほど後だろうか。術による光が徐々に明るく感じられる頃になってエリザは違和感に気づいた。右掌の上で丸くなってうとうとしているイーゼムの大きさが、出発時より少し大きくなっている。立ち止まって周りの木々の高さを見てみるとこれらも膝より高い位置まで上がっており、どうやら自分が小さくなったようだ。

小さくなるように念じた積りはないが、そういうものなのだろうか。立ち止まったまま考えているうちに、イーゼムが浅い眠りから覚める。
「あ、おきてしまいました?」
エリザが少しだけ申し訳無さそうに問うと、イーゼムは彼女の方を振り返って頭を掻きながら応える。
「すまん。暖かいから、どうにも眠くて」
イーゼムのばつの悪い笑みに、エリザもつい微笑を漏らす。だが彼は自分が座っている掌の端と端を一瞥すると、素早く問う。
「で、おまえ、少し小さくなってないか?」
「え、ええ。それで、ちょっと……」
困惑した表情で応えるエリザ。イーゼムは少し考えていたが、いきなり立ち上がる。驚いて左手を沿えるエリザのことも構わず、彼は早口でこう言った。
「あいつら、太陽絡みだったよな?」
「あいつら……って?」
エリザが問い返すと、イーゼムは如何にも もどかしそうに腕を振りながら
「教団の奴らだよっ」
と言い返す。
「え、ええ」
「だったら、日が沈めば戻るんじゃないか?!」
エリザが頷くや否や、イーゼムは考えていたことを一気にぶちまげる。その大胆な仮説に、エリザは目を大きく見開いて彼を注視する。
「って……元の、大きさに?」
「おう!」
力強く応えるイーゼムの大きさは、いつの間にか中指より二回りくらい大きくなっていた。エリザは彼の方を見たまま考え始める。
(戻れる? 元の大きさ……みんなと同じ大きさに?)
その意味が彼女の頭の中で具体性を伴うにつれて、自身も気づかないうちに涙が込み上げてくる。
「あ、あれ? どうしたんだろ。私……」
エリザは震える声で呟き、軽く鼻をすする。
「まあ、良かったじゃないか」
イーゼムのその一言に、エリザは無言で頷く。

力は失うことになるが、きっとこれで良いのだろう。イーゼムはそう思い 視線を下ろす。座っている掌は既に三尺四方にまで縮んでいる。もうじき日は暮れ、エリザも元の大きさに戻るだろう。そうすれば……

重大なことに気づいたイーゼムは立ちあがって上を向き、一拍おいて大声で言う。
「悪いが、急がないとまずいぞ。夜の山道は危険だ」
エリザもその言葉にはっと我に返り、頷くと左腕の袖で涙をはらう。
だが出発する前に、エリザはふと思ったことをイーゼムに言う。
「あ、でも、その前に……先に言ったことは、内緒にしてて下さいね」
「先に?」
イーゼムは鸚鵡返しに問い、腕を組んで今までの会話を思い出してみる。しかし彼女が秘密をばらしたわけでもないし、誰かの悪口を言っていた記憶もない。
「内緒にするようなこと言ったか?」
「いや、あの……これから何をするかと聞かれた時の答えです」
イーゼムが問うと、エリザはしどろもどろに答える。
「ああ、総てを癒すって言ったことか?」
問われたエリザは顔を紅らめながら頷く。

なんだ、そんなことだったのか。イーゼムは笑いながら「わかったよ」と答える。だがその笑みはすぐに悪戯っぽくなり、彼は科白を加える。
「だが、明日の朝にはまた戻るかもしれねえぞ?」
「戻るって言わないで下さい」
エリザは口を尖らせて抗議する。しかしその表情は嬉しそうだった。


落ち合う予定の村に着いたころには完全に日も暮れ、エリザは元の大きさに戻っていた。そのことが先発隊を驚かせ、また説明を受けていた村人たちをある意味で拍子抜けさせたが、翌日の朝になって彼らは更に驚くことになる。

エリザが家から出た途端に、再び以前の圧倒的な大きさになってしまったのだ。

皆が呆然と見上げる中、ひとりイーゼムだけが悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「あー。やっぱり、戻っちまったなあ」
「だから、戻るって言わないで下さいよぉ……」
対するエリザの弱々しい抗議。だが彼女の中に絶望感は無い。
この大きさで何が出来るだろうか。家や木々の上縁ばかりの光景を前に、彼女は思いを馳せていた。


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