総てを癒すもの

第3章 「再会」(1)

作者:ゆんぞ 
更新:2002-04-20

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彼女の重く大きな足音は、場合によっては二町(二百メートル))先からでも聞くことが出来る。革の鎧を着て弓を携え木陰で休む若者の耳にも、それは届いていた。

森の小径は遮るものが多いから特に気を使うとエリザはこぼしていた。ならばいっそ彼女に見えやすいところで出迎えた方が良いだろう。イーゼムという名を持つこの若者はそう判断し、荷物を担いで道の真ん中に出る。

彼の動作に気づいた巨人の娘、エリザが軽く微笑み手を振って答える。領外に出ていたためか、紺のワンピースに白い前掛けという格好だ。
「あなたの居るところまでで、他に誰か居ますか?」
「いや、大丈夫だ」
問いに大きめの声で答えると彼女は頷き、それまでより早い歩調で歩き始める。一歩、二歩、三歩……。かなり離れていると思っていたのだが、わずか五歩余りで見上げると首を痛めるほどにそびえ立つエリザの姿を見ることになる。

イーゼムの一歩半手前のところでエリザは左足を前にして立ち止まり、風を起こさないようゆっくりとしゃがむ。ついで彼女は右掌を地面に降ろして前方にゆっくりと進め、イーゼムの二寸ばかり手前で止める。

白い柱の束が自分の少し手前で止まるのを見届けると、彼は視線を上に転じ問う。
「どうしたんだ、今日はやけに丁寧じゃないか」
「ええ」
少し恥ずかしそうに はにかみながらエリザは答える。
「外でいつものようにしたら、怖がられてしまって」
その答えに はははと彼は笑いつつ指まで歩み寄り、
「まあ、俺はもう摘み上げられるのにも慣れたけどな」
と言って腿の高さまである指に跳び乗る。そして指から掌の真ん中まで進んでから上を向きエリザに目配せすると、彼女は頷いて右手をゆっくりとあげつつ立ち上がる。地上から二十丈(六十メートル)近い高さまで押しあげられるこの浮遊感は、初めは新鮮かつ不快な感覚だったものの 慣れた今となっては微かにまだ不快感が残るのみだ。
「街までで良いですね?」
エリザが問う。頼むとイーゼムが短く応えると、彼女は
「ありがとう」
と返し、微笑みとともに軽く頭を下げる。その奇妙な反応にイーゼムは苦笑いで応じた。
「何言ってるんだ、礼を言うのはこっちだろう」
そう返すと、指摘されて初めて気付いたのか、エリザは「いや、あの……」と要領を得ないことを呟きながら視線をイーゼムから外す。少し間をおいて視線を戻し、彼女は応えた。
「一緒に来て頂けるのが嬉しかったもので」
イーゼムが怪訝そうな表情のままなのを見て、エリザは取り繕おうと さらに説明を加える。
「向こうでは怖がられてばかりだったんです。そうでなくても寂しいのに」
しかし、それでも彼の表情は変わらない。なぜこんな小さなことで悩んでいるのか。それに彼女の持つ力と「寂しい」という弱音がどうしても繋がらない。
「寂しい? そういうもんか?」
訝しげに問うと、エリザは頷いて右手を差し出し 「こっちを見て下さい」と言って左手で前方斜め下を指さす。イーゼムは不安定な掌と指の上を歩き、中指の先まできたところで四つん這いになって上体を前に寄せる。

彼の眼下に広がっていたのは周りを囲む森の木々だった。多種多様の木々が成す でこぼこな緑の絨毯は遙か数十里先の青い山裾まで広がっている。さらに身を乗り出してほぼ真下を見ると 地面が遙か下にあり、思わず吸い込まれそうになったイーゼムは慌てて身を引き起こす。
「いやぁ、随分高いんだなぁ」
振り返って言うイーゼムの表情は 興奮と照れの混じったものだった。
エリザは頷き、伏し目がちな表情のまま答える。
「私の目の高さに何もないんです。昼は毎日こうだから何か寂しくて」
慌てて振り向き直り、下を見て、そしてようやく この光景が彼女にとって別を意味するかをイーゼムは理解した。建物や木、街や森、それらすべてが眼下にあり 自分と同じ目線に何も無いという寂しさ。いや、視線の高さだけでなく彼女の持つ力や存在そのものもまた……
「それかぁ。寂しいって言うのは」
あの事件以降 彼女の態度が妙に丁寧なのも何となくだが合点が行く。だが、考えから覚めて ふと気づいた折りにエリザと視線が合ってしまい、真摯な瞳に捕らえられたイーゼムは反射的に半歩引いてしまった。

慌ててエリザは目を伏せる。逆にイーゼムは数歩前に歩み出て
「すまん、やっぱり見つめられると辛いんだわ」
と言って軽く頭を下げる。それを聞いたエリザは再び視線を彼に合わせ、
「ええ、いいですよ」
と少し寂しそうな微笑みを浮かべて言った。
「こうやって居てくれるだけで十分です」
エリザは目を閉じ、右掌に左掌を添えて顔に近づける。彼女の顔が日光を遮って近づいたかと思うと、イーゼムは暗闇の中 暖かく柔らかい壁に擦りつけられていた。解放されて初めて、彼はそれが頬擦りだったことを理解した。


とりあえず街に戻った際に簡単な報告をしたあとで エリザは近くの村々を一回りし、夜になり元の大きさに戻ってから別宅で本報告を行った。

その報告は、グランゼルにとって溜息の出るような内容だった。簡潔に言えば「本国からの部隊には会えないばかりか 具合を聞くことすらできず、単に街の人を脅かしただけで帰らざるを得なかった。ただ討伐に来た警備兵は信用してくれている様子」ということである。

長い沈黙の後、やっとグランゼルは重い口を開いた。
「うーん、まあ、仕方あるまい」
対面の椅子に座ったままじっと俯いていたエリザが反応して顔を上げる。
「とりあえず明日のことだが」
そう前置きして、グランゼルは明日に関する注意事項を伝える。本国の使節についてそれとなく隊長に尋ねること、街に入れて貰えないようなら深追いはせず使節との合流を先に考えること、この二点が骨子だ。後者を聞いたエリザが不満そうな表情を浮かべたので
「本国に身を立てて貰えば動きやすくなる。最悪それまで辛抱するんだ」
と諭すが、エリザの表情は晴れない。
「でも、そうすると ずっと不安なままのような気がして……」
「ううむ」
視線を下げたまま口に出した弱々しい抗議も 罪の意識を感じているからこそなのだろう。だが、既に疑われているかもしれない自分等が 彼らの信用を得るため出来ることは、そう多いとも思えない。しばし考えた後、グランゼルは
「では、私も同行しよう」
と提案する。

それを聞いてエリザの顔がふっと跳ね上がった。一瞬だけその表情は明るかったが、慌ててそれを隠すように頭を下げる。
「申し訳ありません。ご足労願ってしまって」
その様子に、グランゼルは奥歯を噛む力を強めた。苦笑いを誤魔化すためだ。

三の刻に町の手前という約束から逆算して出発を日出の小半時後と決め、エリザを退室させる。たが、その後もグランゼルは椅子に座ったまま考えていた。本国から来た手紙には記されていなかったものの、辺鄙な合流場所を考えると彼女の存在を秘密にしたまま事を進めたいのではなかろうか。とすると、バラムという一つの街だけではなく、もっと大きな問題になることを考えているのかもしれない……。


翌日の朝もよく晴れており、早朝のうちに準備を済ませ出発した二人は 二の刻半ばには昨日の場所に着いており、バラムから人が来るのを待っていた。
「大丈夫ですか?」
エリザは、左手に横たえたグランゼルの背中を 彼の胴より太い人差し指でさすりながら問う。グランゼルは首を項垂れたまま手を軽くあげて応えるが、その鷹揚な動作はいかにも辛そうだ。気分の悪さは治癒術で対処できるものの ふらついた感覚は断てないため、結果として術の効果は回復を早める程度でしかない。
「ごめんなさい、もう少しゆっくり行けば良かったんでしょうけど」
「そうだな。特に山が辛かった」
深呼吸の合間に答える。領境の山道は、とりわけ籠の中にいたグランゼルにとって険しかったようだ。
「爺さん乗せてあれはまずいと思うぞ」
「そ、そう、ですね」
事の重大さに改めて気づいたのか、応えるエリザの表情も堅くなる。彼女が魔術を教わったローンハイム師も使節団の一員として加わっている。師は高齢のため足腰こそ弱かったものの、好奇心が非常に強く また自分の調子を崩さない好々爺だった。
(今の私を見たらなんて言うだろうなあ)
そう考えると、妙に表情が緩んでしまう。それと同時に 背中をさする指も止めてしまったため、表情の変化をグランゼルに気づかれてしまった。
「おいおい、笑い事じゃないんだぞ」
グランゼルはそう咎めるが、彼も苦笑いしており また偶然ながら同じように今の自分がどう思われるかを考えていた。
(街の連中には飼鼠か何かをあやしているように見えるんだろうな……)

その街だが、予定より早い到着にもかかわらず 見張り塔の兵に取り次ぎを申し出たときの対応も落ち着いており、特に動じた様子はなかった。塔の兵が降りてから暫く時間を経たのち、馬に乗ってブラドゥが出てきた。鎧は着ていないかわりに包帯を左腕に巻いており、右手だけで手綱を引いているため いかにもぎこちない。二人の前で どうにかこうにか馬を止めるのを見計らって、エリザの膝に下ろされていたグランゼルが一礼する。
「初めまして。リーデアルド領 領主の」
そこで言葉を区切り、怪我人をすくい上げようとしているエリザを手で制す。
「領主のグランゼル=リーデアルドと申します。彼女がそちらに迷惑を掛けたと聞き及び、参りました」
ブラドゥも軽くうなずき、馬上で一礼する。
「それは遠路遙々。私はバラム自警団団長のブラドゥ=アルガゼオ。……随分お疲れの様子でしたが?」
『お疲れ』のところで語気を強め にやりと笑うと、対するグランゼルは腹に手を当てつつ ばつの悪そうな笑みで応じる。
「いや、まあ、それはお互い様と言うことで。その腕は?」
ブラドゥは包帯の巻かれた左腕を一別し、「いや、ちょっと……」と彼にしては珍しく曖昧な答えを返す。だがグランゼルはそれを気に掛ける様子もなく、親指で後ろのエリザを指さして問うた。
「とりあえず、治療させますか?」
そして後ろを向いて言う。「そうしたくて うずうずしているだろ?」
「え? ええ」
急に話を振られ 少しだけ驚いた様子を見せるが、エリザの対応は早い。直ぐに左手を伸ばしてブラドゥの右側面に掌をあて、彼に体重を預けさせると そのまま眼前まで掬い上げる。だがそれから左腕の包帯を解こうとして、彼女は自分の指がそんな細かい作業には適さないことに気づいた。
「すみません。もし宜しければ、包帯を解いて頂きたいのですが……」
右手を止め、おずおずと問う。ブラドゥは笑いつつも右手だけで結び目を解き包帯を外していく。露になった五寸ばかりの刀傷には まだどろりとした血がこびりついていた。エリザはブラドゥにその傷を向けてもらい、右人差し指の腹で彼の左肘に触れて凝視する。ブラドゥにとって彼女の治療を受けるのは今回が初めてであり、上腕の倍以上の太さがある指にせよ 視界一杯に迫る真摯な眼差しにせよ、治療を受ける側も相手の大きさに慣れる必要があるように思えてしまう。ただ傷の癒えは非常に早く、左腕が少し熱を帯びたかと思うと 痛みは急激に引いていった。

完全に傷が塞がったのを見てエリザが指を離すと、ブラドゥは身を起こし 左腕を何度か曲げ伸ばししてみる。皮が張っても痛みが無いのを確認して 上から様子を伺っているエリザに向かって腕を掲げる。そして彼は、街に体を向け その左腕をグルグル回してみせる。塔の兵はそれを見て頷き、うち一人が下に降りていった。
「これで恐らく街には入れるだろう」
後ろを振り返って 満足そうにブラドゥは語るが、なぜ突然そんなことを言い出すのかエリザには見当も付かない。
「?」
始めは目を見開き純粋に疑問を感じている様子だったが、焦点を彼から外して暫し思考した末に戻した視線は いくらかの疑念を含んでいた。
「もしかして、試したんですか?」
エリザの問う声は低い。口調に非難がこもるのを抑えたからだが、それでもなおブラドゥは声に押されて直ぐには応えられず 少し間をおいて頷く。
「すまない」
彼を支える掌が僅かに閉じ、握りつぶされるのかと思ったブラドゥは咄嗟に身構える。
「ごっ、ごめんなさい」
エリザは慌てて手を開き 謝った。扱いに対する不満は拭いきれないが、彼の表情にまだ緊張と恐怖が張り付き 注意深くこちらの様子を伺っているのを見ると これ以上責める気にはなれない。とはいえ、次に言うべき言葉もまた見つからない。

そんな沈黙の中、不意にグランゼルが口を開いた。
「じゃあ、街に向かうとするか」
そして彼は、エリザの視線が自分のところまで下りるのを待って言葉を継ぐ。
「不満を言うな。彼は恐らく自分の腕を切ってまで仲立ちしてくれたんだぞ」
そこまで聞いてエリザは「あっ」と声を漏らし、再び左掌の男を見た。いきなり間近から見られたブラドゥは一瞬だけ身を引いたが、向けられた眼差しの暖かさに気づき 直ぐに重心を前に戻す。
「ありがとうございます」
感謝の言葉と共にエリザが頭を下げる。先のような試され方は不本意だし、試さなければならないほどに信用されていないのは寂しいが、それでも彼は 自分の腕を傷つけてまで間に立ってくれた。本来なら、それだけで過分な扱いではないか。そう思うと目が潤み、彼女は少しの間 目を閉じた。
「リオノスの提案だよ。奴は自分でやろうとしたがな」
ブラドゥは微笑みながら応える。
「ったく、こういうことは長がやらにゃ格好がつかんことを知った上で言いやがるんだからな。性根の悪い奴だ」
そう言って彼は舌を出した。


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