総てを癒すもの

第3章 「再会」(3)

作者:ゆんぞ 
更新:2002-11-27

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この大きさだと術の行使にはもう少し慎重さが要求されるが、慣れているエリザは次々と治療院の患者に術を掛けていく。フレイアの言う通り 残った患者は比較的軽傷の者ばかりだったため、ほとんど流れ作業のようなものだった。疲れている助手とフレイアにも最後に術を施し、エリザは他にまだ怪我人か病人が居ないかと尋ねる。
「いや、そうは言ってもねえ……」
「まだお詫びもしていませんし、治せる人はみんな治したいんです」
少し気怠そうに応えるフレイアに、エリザは畳みかける。フレイアが見上げると、十丈(三十メートル)近い高みから来る真摯な眼差しと相対する。今となっては その大きさほどの圧力は感じないが、なかなか抗いづらい。
(タフな娘だねえ……まあ、この大きさだから当然か)
諦めたのか、フレイアは乾いた笑みを浮かべてうなだれる。そして少し間をおいてから再び顔を上げ、提案する。
「じゃあ、今日の昼過ぎに使者が来るらしいから、それまでに何とか集めてみるよ。それまで外で待っていてくれないか」
しかし それを聞いたエリザは意外だと言わんばかりに目を開き、二三度瞬きさせる。
「えっと、待ってて欲しいっていうのは……私、何もしなくて良いんですか?」
「あたりまえだろ。その大きさで街を練り歩かれちゃあ敵わないよ」
その強い口調に何も言い返せない。今度はエリザが頭をうなだれる番だった。
「う……ごめんなさい。何もできなくて」
「いや、いいってんだよ。上手く行けばあと四~五日は休めるからね」
謝るエリザに、フレイアは慌てて取り繕ろう。広場を埋め尽くす大きさの割にはどうにも弱気な態度なので調子が狂わされる。もっとも、普通の大きさの子と話していると思えば良いのかもしれないが、端から見れば さぞ奇妙な光景に写ることだろう……。そんなことを考えているフレイアに、エリザがおずおずと問うた。
「あ、あと。使者の方が昼過ぎに来るって、仰ってましたよね?」
「そうだよ、それが何か?」
フレイアは即座に問い返す。
「いえ……ちょっと、初耳だったもので」
「あ~。もしかして伝えてなかったのかねえ、あの馬鹿……」
溜息を前置きにしてフレイアは説明を始めた。

警備隊長であるブラドゥの話によれば、昨日の晩に使者の先発が来ていたのだそうだ。明日の昼過ぎから護衛を頼むという内容だったのだが、ブラドゥはエリザの来襲を明らかにした上で この街での合流を申し出た。結局それが受け入れられ、先発の男はそれを伝えるために帰っていった。ちなみに遅れた原因は、魔術師のローンハイムが土地の料理を食べ過ぎて体調を崩したためだそうだ。
「なんてーか、若い爺さんだねえ。ホントに」
「ええ、まぁ歳を半分しか数えてないような人ですから」
心底呆れたと言わんばかりのフレイアに、エリザも額とこめかみを押さえながら同意する。自分の年齢を把握していない無茶っぷりが なんとも師匠らしい。


ともあれ、フレイアに建物の中へ入って貰った上で エリザはゆっくりと立ち上がる。三階建ての家々の庇も彼女のスカートの裾と同じくらいの高さだ。すこし裾を持ち上げれば建物に当たらないので、道幅の狭さを除けば意外に都合がよいかもしれない。そんなことを考えながらエリザは市壁の外まで歩み出て、それから外壁づたいに元の西門まで戻る。

正門の上では隊長と副隊長、それにグランゼルの三人が何か話しあっているようだった。さらに彼らの後ろや壁の影に何人かの子供がおり、顔を少しだけ出してエリザの方を伺っている。だが彼女が目を合わせようとすると、子供達は物陰に引っ込んでしまった。仕方がないので、エリザは腰を下ろしながら三人に尋ねる。
「どうしたんですか? その子たち」
「ああ、なんか興味があるらしいんだが……」
リオノスはそう答えて 自分の後ろに居る子供をせっついてみるが、頑として動こうとしない。やるかたなしといった風に肩をすくめて見せるリオノスに、エリザは
「それじゃあ駄目ですよ」
と言って軽く首を横に振る。そして彼女は頭の位置を一段下げて目の高さをあわせ、柔らかい声で語りかける。
「こんにちは。お姉さんに、顔を見せてくれないかな?」
リオノスの後ろや壁の影から子供達はそうっと顔の半分だけを出し、互いに顔を見合わせる。しばらく無言の相談が続いた後、壁の後ろにいた男の子が頷くのを合図として四人が同時に横へと出る。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
エリザが会釈すると、子供達もぎこちなく挨拶を返す。

彼女は一旦 両膝を立てるように座り直してから、掌を市壁の前にゆっくりと差し出す。
「さ、おいで。一緒に遊ぼ」
差し出された掌の大きさに驚いたのか、子供達は皆一様に口を半ば開けたまま 暫くはエリザの掌や顔を呆然と見ていたが、やがてそろそろと歩み寄り 一人がいったん片足の爪先で掌に触れた後に 全員で一気に飛び乗る。勢いの付いた四人分の体重にも 掌は全く揺るがず、そのことに彼らは驚いているようだった。そんなちょっとした素直な反応を楽しみつつも、エリザは笑って手を揺らしたりしないよう注意しつつ 彼らを乗せた掌を自分の膝まで運ぶ。

三人が下ろされた場所、つまりエリザの膝頭は市壁の半分位の高さにあり、そこから白い斜面が彼女の腹とつま先に延びている。こんなところに下ろして 何をするのだろうか。疑問に思った子供達が彼らよりやや高い位置にある大きな顔を伺うと、彼女はそれを待っていたかのように口を開く。
「じゃあ、そこに横になってちょうだい」
しかし発せられた言葉は、彼らの疑問を解くどころか さらに深める内容である。それでもなんとなく言われるままに横たわると、エリザは太さ一尺半ほどの親指と人差し指で一人の肩をそっと挟み、彼の体を前にずらした。
「えぇっ?!」
思わず男の子の口から声が出る。先は斜面だ。その子は 自分の置かれた状況を理解する暇もなく、加速と悲鳴を伴って白い斜面を滑り落ちていく。彼の視界は相手の顔から紋章を付けた胸へと移り、そして腹の前でやっと止まった。
(死ぬかと、思った……)
大きく息を吸い、おぼつかない足取りでなんとか立ち上がる。涙のにじむ目できっと見上げると、顎を引いて心配そうに見下ろしていたエリザと目が合う。
「ごめんなさい、そんなに怖がるとは思ってなかったから……」
「いやっ、怖くなんかないやいッ!」
腕を腰にあてて叫ぶ。怖いという言葉に過剰反応してしまうのは男の子の意地なのだろう。無理しているのは明らかだったが、エリザは敢えて突っ込まないことにした。
「でもまあ、慣れないうちはもう少し緩い方が良いですね」
残りの子供がおちないよう膝の下側に手を当て、斜面を緩やかにするために少し爪先を前へ出す。


最初は怖々滑っていた子供達も徐々に慣れてきたようで、頭から滑ったり両手を広げて滑ったりといろんな滑り方をする子が出てくる。エリザはその子達を楽しそうに見つめ、また滑り終わった子供を次々と拾い上げては膝まで持ち上げている。
「馴染んでますなあ」
リオノスが感慨深げに呟く。彼にとってはこれ以上不自然な光景であると同時に、奇妙なくらい自然な光景でもあった。
「まぁ、職業柄ってもんでしょう。あとは元々子供っぽいからかと」
グランゼルがそう答え、声を立てて笑う。実際に故郷のリーデアルドではちょくちょく見られる光景である。

そんな彼らの周りに突然影が差し、グランゼルはいきなり引っ張り上げられる。もちろん、こんなことが出来るのは一人しかいない。
「えーと、聞こえてますよぉ」
妙に楽しそうな エリザの声。グランゼルは彼女の顔の高さまで持ち上げられ、悪戯っ気の混じった楽しそうな笑みに嫌でも対面させられる。
「遊びたいなら言って下されば良いのに」
そんな台詞の後に 今度はエリザの顔が遠ざかる。行き着く先は滑り台、だがいつの間にか急角度に設定されており 上から見るとほとんど崖だ。慌てたグランゼルは手足をばたつかせながら必死で抗議する。
「ちょ、ちょっと待て。これは……これは急過ぎないか?」
「ええ、だから貴方にお願いするんじゃないですか」
笑顔を崩すことなくやんわりと却下され、グランゼルは落下ののち直滑降の恐怖を味わされることとなる。彼の場合は自業自得だが、ついでだからという理由で同じ目に遭わされたブラドゥとリオノスにとっては災難という他ない。
「あぁ、これでは子供達には無理かもしれませんね」
一気に疲労困憊になった三人を腹に乗せたまま、エリザはにこにこしながら平然と言った。


そんな風に滑り台とか指を使った押しあいこで遊んでいるうちに、市内に正午の鐘が鳴った。かつての豊かな財政を示すような、低く重い音が響き渡る。
「ごめんね。もう行かないといけないの」
申し訳なさそうに言い、エリザは自分の膝の上で遊んでいる子供達を拾い上げて自分の左掌に乗せる。乗せられた子供達は少しだけ残念そうに彼女を見上げているが、別れを惜しむ様子さえも彼女にとってはなんとなく嬉しいものだ。市壁に掌を添えて子供達に戻ってもらうと、彼女は一旦腰を浮かせてから片膝をつきなおす。そして立ち上がる代わりに、再び掌を彼等の前に差し出した。
「じゃあ、最後にちょっとだけ良いもの見せてあげる」
今度は、子供達は我先にと掌に飛び乗る。顔をほころばせながらエリザはゆっくりと立ち上がり、さらに子供達の乗った左手をいっぱいまで掲げ上げる。今の彼女の大きさなら、それだけで見張り塔の三倍くらいの高さだ。初めて見る光景に、子供達から感嘆の声が挙がる。
「どう? いい眺めでしょ」
少しだけ自慢げにエリザは声を掛ける。それに応じて直ぐに一人の少年が掌から身を乗り出し、彼女の方に向かって叫ぶ。
「うん、すごいよ! すごく遠くまで見える!」
だがそのとき少年は、優しく微笑む彼女の表情だけでなく その遙か下にある市壁や家々まで見てしまった。自分の居る高さを実感した少年は顔を引きつらせ、四つん這いの姿勢のまま ゆっくりと掌の内側に引っ込んでしまった。
それを心配に思ったエリザは、徐に掌を自分の肩の高さまで下ろして 子供達を見てみる。さっき顔を出していた少年は後ろ手をついて座っており、彼女の方を向いている顔に怯えはない。その様子にエリザは安堵し、念のため尋ねてみる。
「大丈夫?」
「うん、なんだか落ちそうな気がして……。でも面白かったぁ」
そう応えるものの少年の声や姿勢は気怠く、疲労の色が濃い。とかく初めてづくしだから当然といえば当然だ。
「じゃあ、この辺で終わりにしよっか」
エリザは提案するが、即座に他の三人が立ち上がって抗議を始めてしまう。
「やだ。僕にも見せてよ」
「見たい」
「うん、見たい」
(あ、やっぱり子供はこうなんだ……)
大人しいと思っていた彼らが ここへきて故郷の子供達と同じ反応をしているので、思わずエリザの表情から苦笑が漏れる。ここまで必要とされるのは彼女にとって嬉しいことなのだが、毎日のように子供達からもっと遊んで欲しいとせがまれ、その都度あれこれ宥め賺すのに苦労させられてもいる。一度などは数人がかりで服の裾に組み付かれてしまい、本当に難渋したものだ。
「ちょっとだけよ。人を待たせているんだから」
しょうがないと言わんばかりに答えるが、その口調にも構うことなく 子供達は四つんばいになって掌の縁まで身を寄せる。気の早い動きに苦笑しつつも、エリザは彼らが落ちないよう極力慎重に左手を掲げる。だがそんな彼女の気遣いも知らない子供達は「僕が一番だ」とか何とか言いながら 競って身を乗り出そうとしている。度胸試しの積もりなのだろうが、見ている方がはらはらしてしまうほどだ。しかし張り合っている子供達は、それでもまだ体を前に延ばそうとする。危険を感じたエリザは遂に掌を丸め、無理矢理彼らを掌の真ん中に押し戻した。そして左手を丸めたまま肩の高さまで降ろし、そこで開く。
「はい、これでおしまい」
子供達は突然のことに対応できずに少しの間唖然としていたが、もう遊んで貰えないことだけは察したのか 直ぐに駄々をこね始める。
「だーめ。そんな我儘な子は握り潰ししゃうぞー」
エリザは笑いながら軽く左掌を閉じる。子供に限っては少し脅してやるくらいが丁度良いというのも、故郷での経験から得られた教訓だった。それで大人しくはなったものの まだ物欲しそうに見上げている子供達を、エリザは一人ずつ摘んで市壁に戻す。そして立ち上がろうとしたところで、リオノスがふと感慨深そうに言葉を漏らした。
「子供相手には朗らかなんだなあ……」
それを聞いたエリザの視線が即座に彼を捕らえる。急な動きに戸惑うリオノスの目の前で、彼女の顔が一気に赤くなる。子供達と遊ぶついでに彼に何をしたか、改めて思い出したからだ。
「い、いや……その、ごめんなさいっ」
顔を赤らめたまま、慌てて頭を下げる。
「昨日今日会ったばかりの方に、あんな、子供扱いなんかしてしまって……」
「ああ、いいさ、今更気にしなくても」
顔を上げると、リオノスは笑ったまま 宥めるように手を軽く振っている。恥ずかしがって縮こまってもなお、彼の姿は軽く見下ろす位置にあった。
「それより、使節が来たらしい。隊長が対応してて、今は治療院に居るらしいから」
「あ、はい。解りました」
エリザは直ぐに立ち上がり、一礼してから再び門を跨ぎ越して街に入る。さっき恥ずかしい思いをして体全体が熱くなった影響か、自分の体が少し大きくなっているように感じていた。


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